所属支会:大寄支会
上敷免は、大寄地区の東側に位置し、北には小山川が流れ、南は福川、西には唐沢川と川に囲まれ、明戸地区に隣接しています。
上敷免の元は、雑色免(ぞうしきめん)と考えられ、雑色とは雑色人のことで工芸、技術等の諸役に従った人をさし、貢租を免じられ地名になったといわれます。そうした人たちが大昔この地に居住し古くから開発されていたものと考えられます。
歴史的建物や名所がありますので、いくつかご紹介します。
諏訪神社付近に深谷城主上杉氏の重臣岡谷香丹(おかのやこうたん )は、利根川を渡ってせめてくる古河公方の軍に備えるため、深谷城北辺の守りとして延徳3年(1491)に皿沼城を築城しました。のち城を長子清英に城を譲り、香丹は曲田城に退老し、後に皎心寺を開基しています。城があった高台は、煉瓦の原料として掘り取られ、水田になり、現在「ジョウ」の呼び名が残っています。
また、澁沢栄一翁も設立に携わり、日本の近代化を支えたレンガ工場跡地が上敷免北部にあります。現在は、旧事務所に貴重な資料が展示され、ホフマン輪窯6号窯は現在修繕しており、令和6年に完成予定です。旧変電室や備前渠鉄橋とともに、国の重要文化財に指定されております。
他にも深谷の七福神のひとつである恵比寿天の「泉光寺」があります
上敷免は、大寄地区の東側に位置し、北には小山川が流れ、南は福川、西には唐沢川と川に囲まれ、明戸地区に隣接しています。
上敷免の元は、雑色免と考えられ、雑色とは雑色人のことで工芸、技術等の諸役に従った人をさし、貢租を免じられ地名になったといわれます。そうした人たちが大昔この地に居住し古くから開発されていたものと考えられます。
歴史的建物や名所がありますので、いくつかご紹介します。
諏訪神社付近に深谷城主上杉氏の重臣岡谷香丹は、利根川を渡ってせめてくる古河公方の軍に備えるため、深谷城北辺の守りとして延徳3年(1491)に皿沼城を築城しました。のち城を長子清英に城を譲り、香丹は曲田城に退老し、後に皎心寺を開基しています。城があった高台は、煉瓦の原料として掘り取られ、水田になり、現在「ジョウ」の呼び名が残っています。
また、澁沢栄一翁も設立に携わり、日本の近代化を支えたレンガ工場跡地が上敷免北部にあります。現在は、旧事務所に貴重な資料が展示され、ホフマン輪窯6号窯は現在修繕しており、令和6年に完成予定です。旧変電室や備前渠鉄橋とともに、国の重要文化財に指定されております。
他にも深谷の七福神のひとつである恵比寿天の「泉光寺」があります。秋の七草である「オミナエジ」は、茎の先に粟粒のような黄色い小さな花が咲き、8~10月頃が見頃になります。 また、2022年に上敷免鎌倉街道保存会が案内板を作り、鎌倉街道をPRしています。
。秋の七草である「オミナエジ」は、茎の先に粟粒のような黄色い小さな花が咲き、8~10月頃が見頃になります。
◇令和4年度役員
自治会長 | 井田 安彦 |
副自治会長 | 井田 弘夫 |
副自治会長(会計) | 丸山 吉弘 |