深谷市自治会連合会

南支会: 萱場のご紹介

自治会名:萱場自治会

所属支会:南支会

萱場自治会館

萱場自治会概要

当自治会は深谷市役所から17号国道を西に1.5Kmの場所に有り、深谷市コミュティセンタークレヨン館の 隣に有ります。 自治会の主な行事は、南分館対抗のソフトボール、野球、バレーボール、体育祭、7月の最後週末に行う八坂祭り、深谷まつり、12月の子供達とやる餅つき、小学生の通学見守りなど、地域との懇親を深めています。

<萱場の歴史>

1804年~1829年頃にかけて編集された「新編武蔵風土記稿」によると、「萱場村は本郷の郷 藤田庄と唱、江戸よりの里数は前村と同じ、東は東大沼村、南は樫合村、北は曲田村なり、東西四町余、 南北十三町余、家数二十五軒中山道村の中程を東西に通ぜり。古は上杉氏の領分なりしが、御入国の後 酒井讃岐守領分となり、寛永三年若州小浜へ所替有てより御両領所となり今も御代官支配せり、又村の坤の方 櫛引新田の内に、当村持添の地あり、詳なることは人見村に出せり、この外塔当村の飛地二ヶ所、宿根村内にあり」と古くから江戸から京へ向かう街道の村として紹介されている、江戸よりの里数は前村深谷宿の19里(約75Km)」

榛沢郡萱場村だったが明治22年4月1日町村制施行により深谷町が新設された事により深谷町萱場と成った。

年間スケジュール

世帯数

自治会の規模:

615会員 

<萱場の見どころ>

清心寺

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清心寺

浄土宗の寺で石流山八幡院清心寺と言います、下総国岡田郡飯沼村弘経寺末、 起立は天文18年(1549年) 開基は上杉氏の重巨 岡谷(おかのや)加賀守清英が深谷領の守護として 開山慶長10年(1605年)、清英は万誉玄仙和尚を開基するとともに、 深谷領の守護として清心寺内に山城国 石清水八幡宮を誘請しました、現在上野台の総鎮守として八幡神社が現在有るが、 1706年頃に現在の八幡神社へ移設されたが石流山八幡院の名が石流とは 石清水八幡宮(京都)の事であり清心寺に当初はここに八幡神社が有ったと名を 残している。

<平忠度(ただのり)公の墓>

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平忠度(ただのり)公 供養塔

平清盛の弟で文武の名将 平忠度が一の谷の合戦の後、岡部六弥太に討たれたが、 頭髪を持ち帰った六弥太により清心寺に葬られ800年を経過

平忠度の墓といわれるが、正しくは、源平一ノ谷合戦で忠度を討った 岡部六弥太忠澄(おかべろくやたただすみ)が後に建てた供養塚である。 土塀に囲まれた中に、質朴で重量感のある五輪塔と板碑が並ぶ。 板碑は、考古資料として市指定文化財

<萱場稲荷神社>

萱場稲荷神社
萱場稲荷神社

萱場自治会館の南に鎮座し地元の信仰を受けています

萱場 クレヨン館
クレヨン館

<クレヨン館>

深谷市運営のコミュニティー施設、たくさんの深谷市民の趣味の集い等で 賑わっています。

<詳細は萱場自治会ブログへ> https://kayabagichikai.hatenablog.com/#edit

萱場自治会からのお知らせ

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